第四番 仙谷山 寿福寺

[宗派]臨済宗建長寺派

  十一面観世音菩薩(御丈 七寸五分) 

[所在]川崎市多摩区菅仙谷1-14-1

     044-944-3212 

[最寄]京王相模原線 京王稲田堤駅 徒歩20分

    JR南武線 稲田堤駅 徒歩25分

    市バス 登戸駅・向ヶ丘遊園駅東口より

      「西菅団地」行、終点下車 徒歩10分

    小田急バス よみうりランド駅より

      「西菅団地」行、終点下車 徒歩10分

由緒

当寺の縁起に拠れば、創立は推古天皇6年(598)と言われるが、古来度々兵火に遭って荒廃することが甚だしかった。永徳年中(1381―1384)迄は天台宗であったのを臨済宗に改宗し、建長寺87世大安法慶禅師が、錫を此の地に留めて、荒廃を興し禅風を振るうようになった。此の時、足利氏満、禅師の徳風を慕って参詣の序、当寺に伝来する曽って文治年間(1185―1199)義経、弁慶に依って繕写されたと言われる大般若を再補修し、加うるに三個の殿守を造営し、住僧に皇国の鞏固と武運の長久を祈らせたと伝えられている。

後に徳川家康、此の名刹を讃して朱印七石を付せられ、隔年、特例登城の寺格を認められた。

明治8年(1875)3月19日の火災で殿堂並びに観音及び虚空蔵両菩薩悉く焼失したが、幸いに上記般若経及び宝物は焼失を免れ現存している。

その後、復興したが、明治28年(1895)再度火災に遭い烏有に帰したものを、大正の初年(1912)、32世積道和尚代、本堂を再建し、さらに昭和41年(1966)11月27日、第33世孝宗和尚代、庫裡及び観音堂を再建して現在に至る。

御詠歌

ふだらくの みうめののりは じゅふくじに

 いつもたへせぬ まつかぜのおと

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