第三十一番 青龍山 圓福寺

[宗派]曹洞宗

  聖観世音菩薩(御丈 二尺三寸) 

[所在]川崎市高津区下作延2051

     044-822-2228 

[最寄]JR南武線 津田山駅

     徒歩10分

由緒

当山は相模国高座郡遠藤村(現在の藤沢市)曹洞宗宝泉寺の末寺として大永二年(1522年)益田駿河守満栄の開基によって創建され、雪天透瑞大和尚が開山された。当時は蒼龍山円福寺と号す。

僧雪天は天正4年(1576126日、80才をもって入寂し、また満栄も永禄元年(1558616日卒す。現在当山墓地にその一部が残されており区内千年能満寺には益田家の墓地がある。

その後、寛永11年(1634)回禄にあい悉く烏有となる。当所地頭の戸田六郎右衛門清信と益田家の子孫市郎兵衛の発願によって再建された。以来戸田市の菩提寺となる。寛政7年乙卯年(1795)再び火災にあう。その後、建立された本堂が戦災(1945)によって失った本堂と伝えられる。

今は堂宇もりっぱに建てられ約三千坪の境内には松・柏・楓等の樹木が繁茂している。

山田平七翁の発願によって始められた準西国稲毛三十三所観音霊場で当山は三十一番札所となっている。なおこの観音像も本堂と同じ日に戦災にあったが恩徳の尊さによって焼失をまぬがれることができた。

聖観世音菩薩 御丈 二尺三寸

御詠歌

なにごとも いまはたいらに なりにけり

 じたびやうどうと いのるみなれば

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